ウイスキーが亡くなったのは恐らく5歳か6歳でした
バリ島生まれのバリ島育ち
友人が日本在中の両親をひきとりバリの大きな戸建に一緒に住んでいたお話
老後を両親と一緒にバリ島で暮らしてもらおうと、日本から両親は娘の元、
バリ島で暮らすことになりました

言葉も出来ず、お手伝いさんとのコミュニュケーションも取れない夫婦には
シェパードのウィスキーを息子のように可愛がっていました
有る時お父さんが病気で亡くなりました、残されたお母さんはとても気丈にして
毎日明るく過ごしていました
お口が効けないウイスキーと自分も言葉がはなせない
ある意味では同じ境遇と感じていたのでしょうか
ウィスキーとおかあさんとはとても仲良しでした
傍にはお友達のようにウェイスキーがいつも横に居ました
毎日毎日お母さんと一緒にウイスキーは、過ごしました
毎日明るく過ごして暮らしていたお母さんでしたが
お父さんのお葬式が終わり一年近く経過した頃、お母さんが突然いなくなりました
友人の家は丘の上の一角を切り開いた富裕層が暮らす敷地内にありました
セキュリティもあり居心地の良い大きな丘の上の大きな家です
川が流れて緑が多く広々私はいつもバリ在中はそのおうちで過ごしました
居なくなったお母さんを敷地内の方たちとご近所の方、みんなで探したそうです
小さな川がありお母さんはその川に横たわる様に眠ってそのまま息を引き取りました
その時にバリ島から連絡があり、母親も死んでしまったとお互いに号泣しました。
なんとも切ない話です、

そして一週間後にはウイスキーが眠る様に息を引き取りました
まだ5歳位だったので病気とは考えずらい
犬にはショック死があるので病名はショックしかも知れないと友達に伝えました
でもどちらにせよ、お父さんとお母さんを守るために天国へ行ったのは間違いないです、宗教の関係上、同じ場所には眠る事は出来ないけど、ウイスキーはお母さんを天国で守るためにお空に自ら逝ったと私も、友人も、今でもそう思っています。
お父さんが亡くなったのはその一年前なのですが、友人が両親を同じ土に眠らせたいと墓地を掘り起こしました≪インドネシアは未だ土葬です≫
お父さんのご遺体は何と亡くなってから一年は経過しているのに腐敗状態なく
きれいなままだったと言う事です
お父さんは きっとお母さんを待っていたのですね
お父さんお母さんは、虹の架け橋を渡る前のお花畑で、ウイスキーを待っていたんでしょうね
今は きっと一緒に虹の橋を渡りウイスキーは,お父さんとおかあさんと毎日楽しく暮らしているんではないでしょうか、
お父さんお母さん ウイスキーと安らかに眠って下さい
私も友人のお母さんが大好きでした。
いつまでも永遠にウィスキー幸せであれ。
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